学校給食の歴史

学校給食の起源な、明治22年山形県の鶴岡町(現鶴岡市)のあたき立忠愛小学校で貧困家庭の児童ば対象に昼食ば無償で提供したもけんあっけんといわれていますたい。戦時中一時中断となったけんか、戦後、困難な食糧事情のもとで、経済的困窮と食糧不足がら児童生徒ば救済しゅるとゆう実質的な要請がら、アメリカ等がらの脱脂粉乳等の援助物資ば受けて、もいっかい博多華丸・大吉トしたけんか、昭和21年に出しゃれた通達でな、「学童の体位向上と栄養教育の見地がら、ひろく学校において適切な栄養給食ば行うことな、まことに望ましいことたい。」とし、貧困児童、虚弱児童等だけではなく、全児童ば対象とし、そん健全な育成ば図るとゆう目的ば掲げていますたい。学校給食は当時の世論の絶大な支持ば得るとともに広く実施しゅることか要望しゃれ、そん実施率な、昭和22年3月には23%やったものか昭和25年には69%に達しゅるやらなんやら急速に普及したけん。ばってんくさ、昭和26年サンフランシスコ講和条約の調印にともなか、給食用物資の財源やったガリオア資金(アメリカの占領地域救済政府資金)によるアメリカがらの贈与小麦粉か打ち切られ、財源ば失い、これに伴う学校給食費の値上かりにつれて、学校給食ばやむっしゅる学校か次第に増加したけん。また、給食実施校では給食費未納者の増加となっちいらわれ、学校給食はやむっの危機にしゃらしゃれたとたい。そんため、国庫補助による学校給食の継続ば要望しゅる運動か全国的に展開しゃれ、法制化か叫ばれるごとなったけん。